8月15日は終戦の日

毎年8月15日。終戦の日です。日本各地で終戦の式典が行われ、12時に黙とうし戦火により亡くなった方々のご冥福を祈ります。読者の中にも、気付くと学校を卒業してすでに○十年がすぎ、空襲・原爆・ソ連参戦と時系列があやふやになっている方も多いでしょう。歴史系のブログも書いてみたいので、この機会に軽く歴史を振り返ってみましょう。

戦争終結への道・・・ヤルタ会談を軸に考察

まずは簡単に和暦と西暦を対応させる数え方を書きます。昭和の年数に1925を足すだけで西暦になります。(ついでに)明治は和暦+1867=西暦、大正は和暦+1911=西暦、平成は和暦+1988=西暦です。記憶できれば役に立つかもしれません。昭和14年(1939)にナチスドイツのポーランド侵攻から始まった大戦も昭和20年(1945)にはドイツと日本の敗色が決定的となってきました。1945年2月11日にソビエト・クリミア半島の保養地・ヤルタで米・ルーズベルト大統領、英・チャーチル首相、ソ連・スターリンが戦後構想を話し合います。これが後にヤルタ会談と呼ばれる秘密会談でした。この時、日本の領土に関する密約もなされ今日の北方領土問題につながります。この密約には、①ドイツ降伏後3か月でソ連が対日戦に参戦すること②日露戦争により得た日本の権益と南樺太・千島列島はソ連のものとすることが含まれていました。また、この会談で最も多く時間を割いたのがポーランドの問題であり、そしてドイツの占領統治についての取り決め、台湾の中華民国への帰属と朝鮮半島問題まで話し合われました。まさに戦勝国の力の外交で戦後政治の大枠が決められていきました。

廃墟と化した枢軸国の降伏

1945年3月、東京はB-29の大空襲で焼け野原となり、4月からは沖縄地上戦が開始。同時期、ドイツでは首都ベルリンの市街戦が開始され、日独双方とも破壊され廃墟となります。5月7日、ドイツ降伏。6月には米国も膨大な損害を出しつつ沖縄の地上戦を終了させ、あとは日本本土の占領となります。米国は自軍の損害を最小限に、かつソ連の勢力を拡大させずに短時間で日本を降伏させるため、原爆の使用を決定します。8月6日、広島に原爆投下。8日ドイツ降伏から3か月経過したソ連は密約通り対日戦参戦、中国東北部・千島・樺太になだれ込みます。9日には二発目の原爆が長崎に投下され、こんな爆弾をどんどん投下されたら日本人が消滅してしまう、と、日本の首脳陣もついに降伏を決断します。昭和20年(1945)8月15日、戦争は終結しました。

まとめ

ニュースでの広島や長崎の原爆式典、終戦の式典を時系列で把握するには、まずヤルタ会談を理解すれば分かり易いと思います。ルーズベルトの思考は、まず、カミカゼアタックを仕掛けるような頑強な日本人を降伏させるためにはソ連を参戦させたい。しかし、戦後、ソ連に力を持たせたくない。そのジレンマの中でスターリンと密約を結んだと思います。米国はソ連の対日参戦前に原爆を投下し、一刻も早く(わがまま言えば8月7日までに)日本を降伏させたかったはずですし、またソ連としては逆に、占領地を少しでも拡大したいから少しでも長く降伏しないでいてもらいたかったはずです。

後世に生きている我々としては、国土の分断がない占領統治を受け、他国と比較してみればうまくいったと考えて良いと思います。しかしながら沖縄をはじめとする基地問題など、まだまだ戦争を原因とする未解決の問題があるのは事実ですね。